いすゞベレットは、’64年のデビューから’73年まで、国産スポーティモデルの代表として君臨していた。スカイラインGTが「スカG」と愛称(略称)で呼ばれたように、ベレットGTは俗称「ベレG」と呼ばれるほどのアイドルぶり、老若を問わずクルマ好きの憧れのクルマであったことは間違いない。「ジーティー」という響きにも人はときめいた時代だ。
ベレットGTRはベレット・シリーズのフラッグシップモデル(当時は、そういう表現はなかったが)で、’69年にデビュー。当時イタリア・ギア社に在籍していた巨匠ジウジアーロがデザインした同社の117クーペに搭載されていたDOHCエンジンを拝借し、他のベレットGTとの差別化を図るため、フォグランプ付きの精悍なマスクだけでなく、専用に強化された足回りを持つ、文字通り超スパルタンなスポーツカーであった。
時系列から鑑みるに、’69年に私はこの業界におらず、どうやら試乗したのはマイナーチェンジを施した’71年であったようだ。当然ながら私の運転技術が未熟な時に、こんな凄いクルマに試乗出来てしまうのだから、この業界(自動車雑誌業界)はこわい。
今も昔もいすゞ自動車本社は大森にある。普通、試乗に供されるクルマ(広報車両と呼ばれる)は、この本社から借り受けるのだが、この時はなぜか目黒にある広報車両のメンテナンスをするディーラーに借りにいった。私一人ではなく編集長(以下:編)といっしょだったことを克明に覚えている。
そちらに伺うと、白衣をまとった初老の紳士が対応してくれた。お名前までは記憶していないが胸の名札には「カードクター」とある。そこで白衣をまとっていることに合点がいった。「この方、クルマのお医者さんなんだ」と。
さらに、「クルマもこのくらいになると、普通のメカニックではなく、えらい人しか触れないのかな」などと、なんの根拠もないバカな想像までしている自分が滑稽だった。
昔、スポーツカーはスパルタンが普通だった
免許歴としては「編」の方が長かったこともあり、最初の運転は「編」に委ねる。そこから目黒通り、環8、東名高速道路(開通してわずか2〜3年)で箱根方面へ。当然助手席に座っていたわけだが、その時の記憶はまったくない。もしかしたら隣でグースカ寝てしまっていたのかもしれない。「編」はやさしい人だから、別に咎めもしなかったのだろう。
そこからの記憶は断片的で恐縮だが、箱根ターンパイクと、当時はまだダートだった長尾峠しか覚えていない。つまり、私がハンドルを握れたのはこの2個所だったのだろう。ともあれ、ついにその時はやってきた。
編:「Hくん、運転してみる?」
私:「は、はい。いいすか? んじゃ遠慮なく。・・・・・(しばらく時間が経過)すんません、これクラッチ壊れてません?」
編:「なんで?」
私:「踏んでも動かないっすよ」
編:「あのね! 重いだけだよ、気合い入れて踏み込まなきゃ。アクセルもブレーキも同じに重いからね」
私:「ほんとですね、凄く重い。でも慣れればなんとかなるもんですね、一時はどうなることかと思いましたけど。フ〜・・・・・」
編:「別に無理して速く走らなくていいんだからね」と、安全運転を促される。
私:「慣れてくると、ついついアクセル踏みたくなっちゃいますね。シフトも超ショートストロークでキマると断然気持ちいい。これがスポーツカーってもんなんですね、ワクワク・・・・・。編さん、ヒール&トウの練習してもいいすか?」
編:「どうぞご勝手に・・・・・、でも無理しなさんなよ」
私:「それじゃあ、お言葉に甘えまして。・・・・・カチ〜ン、いてててててッ!」
編:「どした?」
私:「あの、み、みみみ右足がつっちまいました」
編:「きみ、若いわりには運動不足なんだね。ほんと手間のかかるやっちゃ」
私:「くやしいですっ!(サブングル風)」
ベレットGTRの印象を整理すると、
視界=
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お世辞にもいいとは言えないが、劣悪ではなく、多少の慣れが必要。一定以上の座高は要求される。小柄の女性には、ちょっときついかも。想像だが、男のクルマに仕上げるといった、割り切りが当時は普通だったのだろう。 |
エンジン=
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重厚にしてパワフル。トヨタ4A-Gが軽く吹けるDOHCだとしたら、こちらは力強く、アクセルの踏み加減に忠実に吹け上がっていく。あえて言うならマニアックな味付け、玄人好みとはこのエンジンのこと。ちなみにお約束のソレックスキャブレターを2基装着、出力は120馬力を発揮した。カタログ上は最高速度190?/h、0−400m加速は16.6秒と、当時としてはトップクラスの性能だった。 |
操縦性=
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後サスペンションは、ダイヤゴナルリンク式スイングアクスルといい、とにかくよく粘り、路面に吸いつく。蛇足だが、ギャンバー角変化が最もつきやすい構造なので、ロールに対して外側のタイヤは、いわゆるネガキャンになり、ここもマニアたちの憧れの的になっていたという。さらに言えば、前サスペンションはダブルウイッシュボーン(高価なはず)で、こちらのキャンバー角変化はない構造。 軽快さという点だと、その後に登場したSOHCの1800GTのエンジン重量が軽い分、低回転でも扱いやすく運転はやさしい。GTRには、一定以上のウデを要求されるということをメーカー側は言いたかったのかもしれない。 |
スタイル=
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私は大好きだ。理由は何にも似ていないから。個性の時代を象徴するようなこだわりに共感する。 |
ハンドル、ペダル=
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すべて重い。そこがいい。卓越した体力が要求されることはないが、運転すること自体がスポーツだったことは確か。ワイディング走行を10分も続ければ、5キロくらいのランニングでかく汗の量に匹敵する。 当時のクルマにはエアコンが付いていなかったこともあるけど。 |
シフト感覚=
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直立型で超ショート。最近のマニュアルシフトブームにあって、もしこのクルマが存在していたら、がぜん注目を浴びると思います。 |
優越感=
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ある。街行く人から注目を浴びることうけあい(当時は)。しかし、ドア高が厚くこちらの顔(頭)はあまり見られないことになる。なんか、かくれんぼしていて隠れている時の不思議なドキドキ感。 |
2009.05.01記