No.033 自動車生き残りの道は「イノベーション」しかない!

年が明けて6日も過ぎると、昨年のデータが集計されてその数字に各界は一喜一憂することになる。
自動車の製造と販売は、何と言っても長い間日本のみならず世界の牽引役(景気)を担ってきたから、その動向に注目が集まるのは当然のことだ。結論から言えば、国内に関して数値的には悲惨な状況であることは否定できない。数字というものは妙に具体的なゆえに一見説得力はあるが、ここではちょっと斜め目線で見てみたい。

まず中国が自動車販売台数でアメリカを抜いた、というデータ。
アメリカの調査会社オートデータのまとめによると、’09年のアメリカ新車販売台数は約1043万台。これは前年比21%減、’82年以来の低水準だという。
一方の中国は1〜11月累計でも1223万台、年度予想では1300万台を超え、前年比42%増というとてつもない急成長を示している。’04年に500万台程度だったことを考えると、この伸び率は尋常ではない。各国の自動車メーカーが無視できないのも当然だ。
が、しかしである。ご存じのように中国の人口は13億人、アメリカは3億人。自動車の定着(普及)率という観点で見れば中国はアメリカに遠く及ばない。つまり中国がホンモノの自動車消費国になるためには、言われているような経済発展ではなく、’60年代の日本にあったような全国民が共通した所得倍増のようなムーブメントを形成する必要がある。いつの時代でも一部の人だけの恩恵であっては真の経済発展などあるわけがない。

そして肝心な我が日本。自販連と軽自連の発表によると、軽自動車を含む’09年の新車販売台数は460万9255台。この数字は前年比9.3%減、31年ぶりに500万台を割った数字ということになっている。
特に軽自動車を除く新車販売は深刻で前年比9.1%減の292万1085台で6年連続の前年割れ、さらに300万台を下回ったのは’71年以来38年ぶりのことだという。
軽自動車も前年比9.7%減の168万8170台で、3年連続でマイナスとなった。こちらも深刻な結果となっている。

国によって状況が違うのは当たり前

良し悪しはともかくとして、日本やアメリカと中国やインドとは、こと自動車に関して言えば、

  • 歴史が違う。
  • 技術が違う。
  • 意識が違う。

など、違うことが多い。片や普及の途上最前線にある国と、一定の普及を成し遂げて「次」を見据える国とはおのずから自動車への見方も変わってくるのが当然だ。

あえて日本とアメリカを例にとってみると、GMやクライスラーの破綻騒ぎは尽きるところ「次」への見据え方を怠っていたとしか思えない。
構図としての大量生産大量消費型のパターンが崩れたとき、それが現実のものとなって押し寄せてきたのがリーマン以来の情勢だ。端的に言ってしまえば利益率と生産効率の高いクルマしか作らなければ破綻は目に見えてくる、というのがGMとクライスラーが教えてくれた教訓でもある。

トヨタとホンダがインドに進出すると年頭のニュースで地味ながら伝えている。
今までは同市場に目を向けてきたのは日本ではスズキだ。ここに大きな「次」を感じることができる。そのキーワードは「薄利多売」ではなかろうか。
ご存じのように国内においては時限付きのエコカー減税があって、悲惨一辺倒であったはずの新車販売を唯一持ち直させたのがハイブリッドを中心としたエコカーであることは厳然たる事実。そこにあるヒットの条件とは、

  • エコ(政策的にはエコロジーだが、消費者心理としてはエコノミー=燃費
  • 低価格(補助金、減税措置を含む)。
  • 必要にして十分な機能とスタイル。

事実上ではあるが、例えばトヨタで言えばなんとか台数を保てているのはハイブリッドのおかげなのである。しかし利益率は極端に低い。でも作っていかざるを得ない。ここに今まで経験しなかった新たな構図が生まれる。
つまり、せいぜい販価数十万円のクルマであっても作って、売って、さらに儲けていこうとするメーカーの新たな姿勢だ。これをインドという市場で実験、実践していくことになるのだろう。


今やコンパクトカーの代名詞と言ってもいいホンダ・フィット。今年はこのクルマのハイブリッド仕様が予定されており、プリウスの燃費と覇を競うことになる


人間の動きの基本である全方位移動を可能にしつつも、人ごみのなかでも自由に動けるサイズを追求してたどりついたのが、この一輪車スタイル。二足歩行ロボットASIMOのバランス技術を採用することで、まったく新しいパーソナルモビリティを提案、実現した。

そこに「次」の一部を見ることができる。それは、

  • シンプル。
  • 軽量。
  • 超低価格。である。

前述のように、日本のマーケットにもすでにそのような兆しがある。数年中にはトヨタはハイブリッドのフルラインアップを実現させ、そのエントリーモデルでは150万を切るような設定のものが間違いなくその年のヒット商品番付の上位にくることになるだろう。
シンプルで低価格とは、実は大きなイノベーションなのである。

次に日本のナショナルモデルと言ってもいい軽自動車。もとより税負担が少ないモデルでありながら補助金、減税の恩恵が少ないという理由で苦戦している。さらに燃費面でも一部のコンパクトカーの方に軍配が上がる。
そこで、装備や機能面で一定の贅沢を求める日本のマーケットに合わせるかのようなクルマ作りの方向性が問われる可能性が出てきている。
元々軽自動車は660ccという枠の中での装備や燃費は限界があるとされてきた。そこにもってきてさらに低価格となればメーカーの苦悩は計り知れない。
軽自動車のハイブリッド化は現時点では予定にないが、インド仕様でもないだろうが、シンプル&低価格、そしてリッター30キロの時代は遠いことではなさそうだ。与党が予定している軽自動車に有利な高速道路料金の恩恵も少なからず追い風になるはずである。

 

エッセとコペン
一言で軽自動車と言ってもその幅は広い。ダイハツの場合だが、写真のエッセは77万円、コペンの上級仕様はなんと197万円以上もする。目的が違うと言ってしまえばそれだけで話しは終わってしまうが、予想する今後の動向としては多くの選択肢の時代から、「次」を示唆する付加価値を持つラインアップへの変化が考えられる。

日本はイノベーションで乗り切れ!

内外を問わず、これからのクルマに求められるキーワードは、

  • 低炭素⇒当面は内燃機関とそれ以外の動力との混合。
  • 低価格。
  • 超軽量化⇒低燃費。

が最大のポイントになっていくはずである。世界に冠たる日本の技術の真骨頂は、これらの条件を満たすノウハウを世界のどのメーカーよりも多く持つことにある。もとより資源を持たない日本の自動車と関連メーカーが今後も生きていくこととは、何のことはない、かつての日本を思い出すことにあるように思えてならない。

今までの自動車は単体としての技術進化の競争だった。しかしこれからのAutomobileはMobility(移動、機動性)との融合へと進化していくことを余儀なくされるだろう。その役割を担う技術とは、電池(インバーター)、ソーラー、スマートグリッドなどである。そのどれをとっても日本の技術は一流であるとかたく信じている。


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