No.115 外国切手

小学生から始まった切手収集の中で積極的では無かったのだが、何となく集まった外国切手がある。
当時は発行国もろくに分からず、ましてや何年頃に発行された切手なのかも不明のままおよそ半世紀が過ぎていた。調べる方法にたどり着けなかったし、正直当時はそこまでの興味もなかった。

今回コンテンツに使った切手は1927年8月14日に発行されたパレスチナ暫定自治区の1枚、「イギリス委任統治領パレスチナ」の時代です。
ネットのお陰でそれなりに調べる事が可能になった今、あらためてチェックしてみたら国名や発行年がほぼ判明した。大抵は月日までも分かる。枚数は初めてカウントしてみたが369種488枚だった。
60の国が欧州・中東欧・北米・中南米・東アジア・東南アジア・南アジア・中東・大洋州・アフリカと10地域全てに分布していた。

100年以上前に発行された切手も

欧州・中東欧はイギリス、ドイツを筆頭に147種、北米・中南米ではアメリカ、カナダが大半で100種、アジアエリアが79種、中東・アフリカで26種、大洋州で17種。
発行年の最も古い切手はフランスで発行された1枚で2012年から136年遡ることになる1876年の発行。フィンランドの1枚も1891年、アルゼンチンが1896年オランダ1899年イギリス1902年アメリカ1908年インド1911年。100年以上前に発行された7枚の切手の素性が少しだけ浮かび上がった。

左からフランス、フィンランド、アルゼンチン、インド発行の100年選手です。

左からフランス、フィンランド、アルゼンチン、インド発行の100年選手です。

オランダ1899年発行(左)Nederlandsch- Indieは1912年植民地インドネシアで使われたようです。(中)1924年発行(右)

オランダ1899年発行(左)Nederlandsch- Indieは1912年植民地インドネシアで使われたようです。(中)1924年発行(右)

イギリスは左から1902年、1912年、1913年に発行された切手です。ストックブックに入ったまま横着して撮ったらそれなりにしか写りません。気合が不足していますね。

イギリスは左から1902年、1912年、1913年に発行された切手です。ストックブックに入ったまま横着して撮ったらそれなりにしか写りません。気合が不足していますね。

アメリカの切手は左から3枚まで1908年、自由の女神と右隣は1922年、そして1923年発行となります。 左から3枚目の切手は自分の不注意で右下を切ってしまいました。断片はその上に引っかかっていますが・・・。

アメリカの切手は左から3枚まで1908年、自由の女神と右隣は1922年、そして1923年発行となります。 左から3枚目の切手は自分の不注意で右下を切ってしまいました。断片はその上に引っかかっていますが・・・。

こうして1枚の切手を追跡してみると、未使用の切手よりむしろ使用済み切手が封筒のまま(エンタイヤ)存在することの方がよりリアルに時代が浮かび上がり、ドキドキワクワクできるのかな、と思った。例えその宛先や差出人が著名な人でなくても・・・。

地続きの欧州・中東欧は切手の中で使われている言語が時代背景を写している。フィンランドの切手にロシア語の記載があったりするのは・・・。等々1枚の切手にも多くの話(情報)がある。時代背景やそのデザインの意味などに触れていくことで収集の面白さが膨らむのであった。(内容が重複しますがNo.066にも)


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