No.110 団塊世代の収集癖

何でも集めたい団塊世代は、小学生時代の切手集めに始まり各人各様に様々な物を集めたであろうと思われます。今では目にすることが殆どなくなったマッチ箱なども収集アイテムの一つでした。
私も切手は何となく今日まで続いていますが、発行された全ての切手を収集することは切りがないので断念しています。

売って儲けようとは思っていませんでしたから(でも、値上がりする期待があり、それも楽しみではありました。)、発行された全ての日本切手を使用済み、未使用にかかわらず一枚ずつでも集めたいというのが当初の思いだったのです。でも、昨今の発行のされ方にはついて行けません。記念切手のシートは大抵10面ですから、全て絵が異なるシートでは80円で済む話が800円になりますからね。これからは自分で気に入った絵図らだけを入手することにします。

写真の世界遺産小笠原諸島2012.6.20発行、10月にIMFと一緒に買ったのですが発売から4ヶ月立っても在庫有りの状況はブームの頃には考えられません。かつては行列をして買ったものです。封書を出す人も収集する人も減っていることや発行枚数が多いことも要因でしょうね。世界遺産今後はパスするシリーズになりそうですが、IMF世界銀行年次総会2012.10.12発行などは良いですね。和同開珎に始まり15種類ほどの貨幣が並びます。

世界遺産小笠原諸島2012.6.20発行、右はIMF世界銀行年次総会2012.10.12発行。10面のデザインは全て異なります。単片で良いのに強制的にシート買いに・・・。

世界遺産小笠原諸島2012.6.20発行、右はIMF世界銀行年次総会2012.10.12発行。10面のデザインは全て異なります。単片で良いのに強制的にシート買いに・・・。

途中から海外の紙幣やコインも

きっかけは海外旅行が我々世代にも身近になり、米ドル以外に諸国の紙幣やコインに接する機会が多くなったからでしょうか。集めると言うよりは、デザインの面白さで一部を取っておくようになったのです。子供が大きく貢献しておりますが、現在およそ30カ国の紙幣やコインがファイルされています。マルクやフラン、リラがユーロに統合され使えないお金になってしまったのは残念ですが・・・。

日本のお金はといえば

昔祖母から貰ったと記憶している寛永通宝や明治の銅貨、銀貨などが長いこと放置されていました。団塊世代が記憶しているであろう、五圓札(昭和21〜30年)国会議事堂の拾圓札(昭和21〜30年)高橋是清の五拾円札(昭和26〜33年)聖徳太子の百圓札(昭和21〜31年)同千円札(昭和25〜40年)や壱万円札(昭和33〜61年)などがほぼ同じ時系列で存在していました。ただし高額紙幣は子供の時にどれほど目にするかを考えれば全て記憶にあるかは?ですね。

聖徳太子の百圓札(昭和21〜31年)平成24年の今も100円として使えるお金ですが裏面が青で印刷された百圓札に限ります。

聖徳太子の百圓札(昭和21〜31年)平成24年の今も100円として使えるお金ですが裏面が青で印刷された百圓札に限ります。

高橋是清の五拾円札(昭和26〜33年)平成24年の今も50円として使えるお金です。

高橋是清の五拾円札(昭和26〜33年)平成24年の今も50円として使えるお金です。

欲しかった国会議事堂の拾圓札

私も拾圓札は何となく記憶していますが、五圓札や五拾円札、昭和21〜31年までの百圓札等は記憶になく、百円札は板垣退助になってしまいます。聖徳太子の千円札は昭和40年まで発行されているので記憶していますね。同じく聖徳太子の初代壱万円札もよく覚えています。
全てを収集する気は最初からありませんが、国会議事堂の拾圓札や聖徳太子の千円札は手に入れておきたいとは思っていました。

国会議事堂の拾圓札(昭和21〜30年)平成24年の今も10円として使えるお金です。小学生時代はお小遣い10円でしたよ。10円玉を持って雑貨屋へ通う日々でした。

国会議事堂の拾圓札(昭和21〜30年)平成24年の今も10円として使えるお金です。小学生時代はお小遣い10円でしたよ。10円玉を持って雑貨屋へ通う日々でした。

聖徳太子の千円札(昭和25〜40年)は皆さん記憶にしっかり残る懐かしのお札ですね。平成24年の今も1000円として使えるお金です。

聖徳太子の千円札(昭和25〜40年)は皆さん記憶にしっかり残る懐かしのお札ですね。平成24年の今も1000円として使えるお金です。

小諸のとある骨董屋にて

たまたま小諸のとある骨董屋にてそれらを入手することになったのですが、ついでに聖徳太子の百圓札、高橋是清の五拾円札、五圓札と板垣退助の五十銭札も・・・。
額面の合計は1,165円と50銭、五十銭札を除けば今も有効なお金なのです。トータル6,000円で買い入れです。これが伊万里を見たついでに紙幣という流れだったのですが、店主に「お茶でも飲んでいきなさい。」と2時間半もいろいろと話し込んでしまいました。「開運!なんでも鑑定団」の中島誠之助さんも、かつてこの小諸の骨董屋さんでたくさん買って(仕入れて)くれたそうです。骨董店での「買い方のコツ」などの知恵も授けてもらい楽しいひとときでした。

小諸のメインストリート、よき時代の趣を保存しています。

小諸のメインストリート、よき時代の趣を保存しています。

少々せこい話

切手も貨幣もそうですが、高値で売買される一品は限られています。小市民の我々が持っている収集品の中からお宝はほとんど出ないだろうと・・・。封書が10円で出せた時代、当時の10円切手が今80円以上の価値がついて換金したらおつりがきた。何てことは無いでしょう。価値が1/8になってしまった10円切手が手元にあるだけ。昭和33年から61年まで流通していた聖徳太子の壱万円札、今も1万円として使えますが、昭和30〜40年代に1万円で買えた物を今買おうと思ったらおそらく買えません。(テレビとかパソコンのような例外は一部ありますが)持っていることによって価値が減ってしまったわけです。
切手も限りなくお金、お金はお金、収集して持っていても価値は上がることはない。儲けようと思うなら止めた方が良いよ。ということですね。あくまで趣味として、日本切手や貨幣発行の歴史を手元に留める事を目的とします。

冒頭で言うように切手も値上がりしていくことは、売る売らないにかかわらず楽しみの一つではあったのですが、今ネットでチェックしてみると額面の6〜7割が買い取り価格で、言うなれば元本割れです。使うのが一番なんですが、封書はほとんど出番がありませんしね。ファックスやe-mailが主な通信手段という時代です。


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No.066 この世代、やっていたはず!切手収集。
まあ、切手に限らず何でも収集する壁があるのがこの世代。私も例に漏れず、小3位から収集開始、テーマ内外を問わず切手と名の付く物は全て収集の対象だった。スタートは使用済み通常切手で始まるのだが、後に段々と未使用品、シートとお金がかかる方に向かうことになるのが一般的だった。自分はと言えば微々たる小遣いでそれは無理な話、とにかく使用済みでも何でもいいから種類を増やしたかった。だから、自分の未使用切手1枚と相手の使用済み切手数枚とでの交換なんてこともやっていた。(コレは失敗!と、後日思う一品もありましたが・・・。)   平成19年9月26発行「国際文通グリーティング(日タイ修好120周年記念)」10枚全てデザイン違い。シール状になっているので使いやすいが、あまりキレイだと使うのがモッタイナイ?! 象の絵は東照宮にあるようです。東照宮上神庫(とうしょうぐうかみじんこ)装飾「象」上神庫は、徳川家康の神霊を駿府久能山から日光へ改葬した当時の行列を再現した「百物揃千人武者行列」と呼ばれる、渡御祭(とぎょさい)の装束等を納める校倉造風の倉庫で、「象」の彫刻はその建物の装飾の一部です。(日本郵政グループHPより抜粋) 懐かしいストックブックも歳と共にやや良い物に買い換え、綺麗に納まっているがシート用のモノがないので後半のシートは箱の中という感じ。日本以外は旧満州時代、沖縄返還前、オランダ、サンマリノ、モナコ、旧ソビエト連邦、イタリア、イギリス、アメリカ等々ストックブックを開けなくてもこの辺までは記憶している。   「前島 密」(1835年〜1919年)の名前も切手収集がきっかけで知ったのでした。近代郵便事業の父、くらいの事しか知らなかったのですが、現在の新潟県生まれで数々の功績を残したすごい人だったのでした。1円切手の肖像でお馴染みの「前島 密」は数種類発行されていますが、これは平成19年10月1日に発行された民営会社発足記念の中の1種です。1871年に官営で始まった郵便事業が136年後の2007年に民営化され、前島さんは再び80円切手の中に登場したのでした。新潟県上越市に「前島記念館」(1931年に創立)があり、彼の偉業が紹介されているとのこと。 切手収集の復活。 ブームの最中は売り切れで手に入りづらいし、学校があり仕事があれば発売日に郵便局に並ぶことは不可能なので、かなりの時間と言うか年数を中断したのだが、ある時に復活した。それは郵便局で取り置きが出来ることが分かった時だった。 「日本ハンガリー交流年2009」の右の一コマはヘレンド磁器だそうです。日本とハンガリーの外交の歴史は古く1869年(明治2年)に始まり、第1次大戦後は1921年に外交樹立、第2次大戦後は1959年に外交再開し昨年2009年で140周年にあたるそうです。長いお付き合いの割に、我ら庶民の勉強不足かハンガリーの存在は薄い。   平成21年4月20日発行の切手趣味週間、またまた王
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No.059 訳本.comって
当サイトとは一見あまり関係なさそうな「訳本.com」ですが、実は縁あってサイトの制作・運営をサポートしております。 洋書も写真が中心のものは、横文字がダメでも眺めて充分楽しめます。写真のキャプションくらいは読みたいと思いますが、私は辞書を引っ張り出してまでの努力はしていません。本文のテキストが読めたらまた一段と楽しめるのは必至。読みたい本が翻訳されて存在していたら・・・。なんて話から「訳本.com」がスタートしました。現在、車関係は一冊もリストに乗っていないのが寂しいのですが、いずれ登場することを期待しながら応援しています。今は乗り物とは言っても軍用機が中心、時折新聞の記事にもなる最新のテクノロジーが集約されたF22などは、情報が入手しやすい環境にあると思いますが「訳本.com」( http://book.yakubonom.com )に登場する機種は珍しいものばかりです。一例をご紹介しますね。もし興味あったら一度覗いて見て下さい。   LOCKHEED XFV-1
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No.064 築40年とは・・・。
鉄筋の建物は、メンテナンスさえしていればチョット見には築年齢は分からない。でも、見えない部分では時代の環境(基準値)が異なるので仕事を(生活)している人にとっては大変なこともある。 例えば電力の容量、40年前の電化製品は知れていることでしょうから30アンペアもあれば必要にして充分だったのが、現代ではかなり不足気味。今は工夫で乗り切っていますが、我が事務所も良くブレーカーを落としていました。電話回線も当時3回線引き込むのがやっと、一時光ケーブルの営業電話が毎日のように鳴りましたが、入るなら入れてみろ!という感じで中々この建物に光ケーブルが入りませんでした。 駅から1分以内という好条件のオフィスとして18年間継続してきたこの地は、捨てがたい魅力がありましたが、データをケーブルでやり取りする現代にはそぐわなくなり、引越を余儀なくされる運命にありました。しかし念願の光ケーブルが昨年末に開通、それも内部の電話ケーブルの所からは配線が取れないので廊下から室内に引き込みようやく人並みの環境になったのでした。 我々は生活しているわけではないので、耐震性とかの対策は分かりませんがまだまだ多くの諸問題があるであろうことは想像がつきます。仮に30歳で購入した人が70歳になり40歳で購入した人はもう80歳になるということが築40年・・・。歳をとり、車を手放す居住者が出て来ることによってやっと借りられた敷地内の駐車場。救急病院と同じ建物だという特殊な環境のここは老後には心強いのかも知れません?。現実は、居住者全員が高齢化している分けではなく、子の世代が居住している例も多々ありそうです。賃貸で事務所使いをしている我々はミーティングに出ることが無いので想像でしかありませんが・・・。若い世代が住めば渋谷、原宿が徒歩圏のここは、やっぱり良い場所か! 中央環状線山手トンネル(3号渋谷線〜4号新宿線)の開通も3月28日16時と目前。工事も追い込みでしょう、かなり道路が片付き始めている。渋滞情報に必ず登場する富ヶ谷交差点の名称も開通と共に消えることでしょう。車にとってもかなり便利な立地です。 2010.2.03 記 山手通りの大橋方向を見る 富ヶ谷から見る山手通りの初台方向。   12階建てのこの建物、40年前はモダンだったでしょう。 駐車場の方から見た40歳の建物。外観はキレイですよ。