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車は好きだけど、お金もないしそんなに入れ込めない20代のある時、知人Aさんから譲り受けたクリーム色のH510(1800SSS)セダン。本で調べるとこの車は、1970年デビュー。この年はブルーバード1600SSSが、あのサファリラリーで優勝という快挙を果たした年でもありました。1967年に登場した510も1972年には生産終了し、610に変わっていきます。直列4気筒、SOHC、1770cc、115ps/6000rpm、車重は945kgこれって、今見ても悪くないデータですね。この1800SSSが所有する私の最初の車となりました。何年だったか記憶がはっきりしませんが、逆算すると1976年前後になるのかな…。それは5万キロ程走り込んでいた1971年型で、オーバーサイズでしたが新品のミシュランが履かされていました。(後に純正サイズに戻す)
目が開いて最初に見たのが親、と、鳥の子供じゃないけれど、この後のタイヤは仕事の拘わりを除くと、何故かミシュランばっかり履いてますね。事務所の車で一度ピレリーがありましたけどそれもショップにご指名のタイヤがなくてピレリーになっただけのことです。そういえば国産は、まだ履いたことがないや。(偏ってますね。)「いつかレグノ?」仕事がらコンチネンタルはよく履きました。「昔のコンチネンタルは、コンパウンドが堅め」なんて聞きましたが(90年代僕が使っているときは、もうそんなことはなかったです)ミシュランなんかも時代がさかのぼれば同様ですよね。ヨーロッパでは日本と走行距離が違い、普通の人でも平気で年間3万キロは走っちゃうような環境ですから、そこそこ保たないと困るわけです。どれも必然的に堅めでしょうね。友人のカルマンギアも、ミシュランでしたけどトレッドはまだまだあるのにサイドウオールは、もうひびだらけ状態でしたよ。何年たっても走行距離が知れていますから、減る前にゴム自体がアウトですね。(昔はそうだったんです)タイヤは"生もの"なんだ!!
スミマセン。510にもどります。この時代は、当然有鉛ハイオク仕様です。(なんか燃料を示すシールが3種類位ありました。赤、青、オレンジかな?)1984年後期からは仕事にも使っていたので、多いときは、年間におよそ3万キロ程度走り込んでいたと思います。オイルショックの頃は、有鉛ハイオクがやけに高くなってビビッテいたものです。青山通りの紀伊国屋の向かいに、確か出光のGSがあってそこは場所柄でしょうか、特にお高かったのかも。その割にはセカンド、サード多用(気持ちいいので)の為、5キロ/リッター位の燃費だったように記憶しています。燃料タンクも46リッターが満タン、頻繁にGSに行くはめになっていました。多いときは週に2〜3度は給油してたかも、です。27〜8年前の昔のことなのに、結構いろんなことが浮かんできます。振り返れば、車を楽しめた良き時代であり、趣味と言えた時です。Aさんに、「ありがとうございました。」
ディスクローターもメルセデスでは、約3万キロ位で交換ですが510では24万キロの中で1度、交換ではなく研磨しただけです。当時5〜6,000円位で買えた純正マフラーの太鼓の交換も自分でやったっけ…。接続部の排気モレ止めに苦労しましたよ。今は、といえば、限りなく道具に近い存在になり、趣味とは言い難くなっていますね。残念ながら…。実用レベルでのプラス改善に関しては、まだ追いかけてますが。少しは趣味の領域かな?