No.014 権力の品格Chapter3「主体性と賢い支出」

日本人の本質は本当のところ、保守なのかリベラルなのか未だによく分からない。だから、妥協の産物を好む国民と断じる方もいる。

有名な外国のジョークで、タイタニックジョークはギクッときて笑える。
タイタニック号が沈んでいくときに、子供と女性を助けるために各国の男性に対して、どう説得すれば海に飛び込んでもらうことができるか、それを促す立場のセリフ。
イギリス人に対して、
「あなたは紳士の国の人ですから」
「その通り。私は紳士だ!」と言って飛び込む。
アメリカ人に対して、
「いま飛び込めば、あなたはヒーローになれますよ!」
「そうだ、俺はヒーローになる!」と言って飛び込む。
ドイツ人に対して、
「飛び込むのがルールですから」
「ルールなら仕方がない」と言って飛び込む。
最後に残った 日本人 に、何と言えばいいか困っていたら、ある人が日本人の耳元でこう囁いた。
「みなさん飛び込んでおれらますよ」
「あっそう、みなさん飛び込んでおられるなら・・・・」と言って飛び込んだ。

ジョークだから、もちろんシャレだ。しかし、どことなく的を射ている部分がある。そこは笑っている場合ではない、という話しを。
日本人には、果たして確固たる主体性というものがあるのだろうか。唐突ではあるけど、国会審議を例に考えてみた。

主体性がないから、ナめられる!

GWがあけて、国会では補正予算審議がはじまった。これはジョークではすまない。
本コラムは、高速道路の無料化推進派だから、それに関する審議(質疑)に注目している。それとは直接関係ないが野党質問の冒頭で、民主党の菅 直人代表代行の質疑の一部に注目した。これは道路問題に限ったものではないが、おそらく「官による既得権益をなくす重要性」を説いていることは間違いない。

 
2009.05.07 衆議院予算委員会審議より、菅 直人・民主党代表代行が示したフリップ
 

図は、 民主党 がまとめたきわめてシンプルな「国のかたち構成図」だ。
要は、現状の仕組みの中ではとても改革は進まない、というそもそも論を図解化したものだ。
フリップを見て麻生首相は憮然としていた部分がある。改革案の「国会内閣制」にだ。自分たち(現内閣)は違うの? とポーズでも怒るのは当然。でも、所詮はこの補正予算も官僚の言いなりでしょ? それが賢い予算と言えるか! と指摘されたものだからさらに激怒。痛いところを衝かれたからでもある。が、指摘のようなことをずっと無視し続けてきた歴史が自民党の歴史でもある。
総理を含む閣僚たちがどれほどお忙しいかは知りませんが、目線の対象が国民にあれば、官が作ったプレゼンを丸のみになんぞしませんって。だって、それこそ政治家としての主体性が問われますものね。

官僚主導の終焉、それは中央集権からの脱却、そして本格的な地方分権への移行。このイギリス型に近いシステムを、いったい日本は何十年模索してきたのであろうか。

では、官がなぜ主導でき、そこにこだわるのか。
それは、 官にすべての情報が集約 するからだ。彼らはモノを生まないが、その情報によっていかなる操作も可能になる。そこに権益がはびこるのはある意味必然で、それを失いたくないという本能が働くのも当然といえば当然だ。地方分権が進まない一大要因がこの一点に絞られている。

国会審議の場で麻生首相が「官僚に儲ける能力があるわけがない」と、のたまっていたが、それはこの方独特の勘違い。おびただしい数の公益法人や独立行政法人、さっさと作る基金(補正予算で定めた46の基金)と、その受け皿の構図など、とても民間にはできない芸当。情報のすべてを握る「後出しじゃんけんの妙味」だ。これある意味、質は悪いけど商才っていうものではないですか、麻生さん。

政権交代に問われるのは国民の主体性

 
国会審議では何かと注目度が高い菅 直人民主党代表代行。西松問題でトーンが落ちていると報じられていたが、私はそうは思わない。ただ官僚主導の補正予算編成にはもっと突っ込んでもらいたかった。
 

「民主党など野党」はもちろん、渡辺喜美、江田憲司両議員の「 国民運動体 」、シンクタンク、国民会議系では同江田議員が代表の「 脱藩官僚の会 」、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏が代表の「 地方分権改革推進委員会 」(*内閣府に属している)、元三重県知事でマニフェストの生みの親、北川正恭氏などが代表の「 21世紀臨調 」など、基本的には図で示した構図を旨としている。

素朴な疑問なのだが、これほどまでの政治家、地方自治の首長、識者、各界実力者、企業経営者、ディベートが得意なTV関係者などが束でかかっても「官の壁」を崩せないことだ。
No.012でも書いているが、この仕組みのChangeが実現すれば、高速道路無料化などはあっけないほどあっさりと決まる。
でも一向に実現しない。なぜか。

結論から言ってしまおう。政権交代がないからだ。
政権交代とは、直近の現象面では自民党中心の政権から民主党中心の政権への移行を指すが、私が何より望むことは、政治には常に緊張感を持ってほしいことだ。
この緊張感が失せた政権は、一度下野していただいて、再び緊張感(創造的政策、施策)と取り組んでいただく。その繰り返しこそが理想であると思う。つまり、良い意味で政権交代は頻繁に起こっていいものだと思っている。

さて、目の前にまできていたその民主党の政権奪取の可能性が、例の西松建設問題で、状況が微妙になってきた。ここで、金(政治資金規正法)に関する国会議員のあり方を書くつもりはないし、今回の検察(東京地検)のやり方を問うつもりもない。
が、いささか乱暴ではあるけど、次の選挙は、官とちゃんと対峙できるところか、それをやりたくないところとの対決でいいのではないか。世襲だなんだと、いろいろと取り沙汰されているけど、何よりも図のような国の仕組みに持っていかないと、何よりも国民だけが疲弊してしまう構図に終止符が打たれない。
そして、主体性(頑固とは違いますよ)こそが一定の美徳となるような国のかたちにしようではありませんか。政治のダイナミズムを促し、創造できるのは国民一人一人だと、あの先生たちに分からせてあげましょうよ。

次は、道路問題を中心とした国会審議をお送りする予定です。
2009.05.09記


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